『50歳までに「生き生きした老い」を準備する』(2回目)

ジョージ・E・ヴァイラント著、米田隆訳、ファーストプレス、8月3日から読み始めて今日読了しました。

p34 「生き生きした老いとは、愛し、働き、日々新たなことを学び、残された貴重な時間を愛しい人とともに楽しむことである」。

p69 しかしここで、私は読者に1つの警告をしたい。そもそも、人生の1つの段階が他の段階よりすばらしいとか道徳的だとかいうことはない。成人の発達は、徒競走でも道徳的義務でもない。それは、ロードマップであり、私たちや隣人たちが人生のいかなる場所にいるかを理解する助けになる。またそれは、「健康」(health)という言葉の語源となっている「完全性」(wholeness)を目指す私たちを助けてくれる。老年期には多くの喪失があり、自分を超越して成長し続けなければ、喪失に打ちのめされるかもしれないのである。

p82 これとは反対に、幸福な老いとは、可能ならばいつでも喜んで人に与え、必要なときには感謝して人の助けを受け、その合間に自己を向上させる欲ももつことだ。

p160 幸福な老いを過ごすためには、新しいことを学び続け、人々を受け入れ続けなければならない。

p186 「なるほど。統合というのは、欲しいものを手に入れることに次いでいいことなんだ

p207 (略)幸福な老いとは長生きすることではなく上手に生きることだ(略)。

p316 いままで述べたことはすべて、成人発達に対する私の確信に基づいている。私は、年を取ることがただ単に衰退することではないと強調し、それどころか、老いるにつれて社会的範囲が拡大し、忍耐力が強まり、無意識の対処機制が成熟するという証拠を集めてきた。実際、幸福な老いだけではなく、幸福な生き方には、他者を内面に取り込みながらその過程で成長できるようになることが必要である。

p317 気質の大部分は遺伝によるもので、外向性や内向性、知能指数、社会的知性の遺伝的要因などの人格要素を含み、大きく変化することはない。

p318 しかしながら、性格は変わるのである。人格を個人の適応の仕方によって定義づけると、時とともに人格は著しい変化を見せる。気質とは対照的に、性格は環境や成熟から深い影響を受けるからである。それに加えて、私たちの持っている遺伝子は変えられないものだが、まさにこの遺伝子の多くが柔軟性を高めるようにプログラムされているのである。人は成熟し、制限的な環境から抜け出し、立ち直る。病気にかからなければ、精神的な健康は70代まで向上していくのだ。
 だれもが年齢とともに経験を積み、他人を恐れなくなり、気楽に自分の意見を言えるようになる。

コメント