ジョン・デューイ著、阿部齊訳、ちくま学芸文庫、2月15日に読み始めて今日読了しました。
p082 児童は一義的には家族の保護のもとにおかれているという事実にもかかわらず、児童の教育は本来的に国家の義務であるとみなされるようになってきたという確実な傾向がある。けだし、教育が実りある成果を生むことが可能なのは児童期であり、もしこの時期が利用されないならば、その諸結果は取り返しのつかないことになる。この時期をおろそかにすれば、もはやのちになって埋め合わすことはほとんどできないのである。
p084〜085 公衆は行為の諸結果と諸結果についての認識とに依存するものであり、また公衆の国家への組織化は、特別の手段を発見し、かつそれを援用する能力に依存しているというその事実そのものが、公衆と政治上の諸制度とは、時代によりまた場所によって、いかにその相違が大きいか、またそれはなぜであるかを示しているのである。
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